昭和49年07月04日 朝の御理解



 御理解 第76節
 「人間は人を助ける事が出来るのは有難い事ではないか。牛馬はわが子が水に落ちていても助ける事が出来ぬ。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けて貰うのであるから、人の難儀を助けるのが有難いと心得て信心せよ。」

 三日の昼の神前の時の御理解に『神信心のなき人は 親に孝のなきも人の道を知らぬも同じ事ぞや。』という御神訓を頂いた御理解。最後の所に『導きの親になるこそ 尊けれ 人も助かる 神も助かる』という御教えを頂きました。是は人を助けると言う事は自分に力が無からなければ助けられない。例えば金を貸してくれというても金を持たなければ金を貸してやる事も、恵んでやる事も出来ないですけれども、この場合力が無くても信心は出来ていなくても、自分が助けるのではないという。
 所謂金光大神取次ぎによって助かるから、その手引きをするその導きをする。事によって金光大神のお徳によって人が助かる事に成って来るのです。自分がおかげ頂き切っとらんから人には話されんと言うのでは無い訳ですね。言うなら橋渡しをする。お手引きをすると言う事によって助けて下さるのは金光大神取次ぎによって天地金乃神のおかげを受ける事に成るのです。
 ですからそういう働きと言う物が尊い事だと言うのです。どんなにお徳を受けられた沢山の人が助かられる力を受けられた先生方でも、やっぱり始めは誰かが導いた。それも名も無い人から導かれた。それが段々おかげを頂き、徳を受け、力を受けて沢山の人が助かる様に成って来る。だから元を訪ねると、あの人のお導きであったと言う事になるのですから尊い事だと思う。
 『導きの親になるこそ 尊けれ人も助かる 神も助かる』そういう働きをさせて頂けると言う事が有難いと心得て信心をすると言う事です。芦屋教会の先代、初代教会長、日吉つるという先生は、大変体の弱い方であった。初めて小倉に教会が開かれ、桂先生がご布教になった当時にお参りされて、その時に初めて頂かれたみ教えが『人を助けて われ助かれ』と言う事。その教えを頂いて自分が助かっておると言う訳ではないけれども、有難い教えを一人一人賜れた。
 自分のお話しをしてあげたりそして連れて参った方達が次々と助かった。その先生を中心に講社が出来た。まあ今で言うなら福岡支部とか言った様な物でしょうね。そして沢山の人が日吉つると言う方を中心にして信心の稽古が始まった。その日吉先生がどう言う様な御信心をなさったかと言うと、所謂芦屋から小倉迄ですから大変な道のりですけれども、是はまだ汽車がない時ですから歩いてお参りされた、一日がかりでお参りされた。それでその毎日自分の頂くお米から一合ずつ自分の食べられる分を削られた。
 例えば夕ご飯を一合五杓頂いて一合を神様のお供えとして、それで一升になった時が丁度十日目だと云う訳で、それを持ってはお参りになった。何回目かのお参りになる時に、その一升のお米を御結界にお供えされると、あちらの先生がそれをお取次ぎなさった。そして神様からご賽伝があった『日吉つる真の信心になった』と言う事であった『是からは千人の神に立たせてやる』ともお知らせ頂いた。
 大変な感動だっただろうと思うですね。だから真の信心と言う事を難しく色々言われますけれども、矢張りやむにやまれん心で神様をお慕いする心。それが矢張り真の信心の、言うなら始まりだと思うんです。やむにやまれぬそれこそ自分の食べる、それを断食をしたり色々酒を止めたり、煙草の好きな人が煙草を止めたりする修業をしますよね、けれどもそれは只自分の身を苦しめるだけなんです。所が日吉先生の場合は違う。自分が例えば二合半食べるのを一合五尺にして、一合は神様へ奉ると言う事をされた。
 其処の辺が違う。煙草を止めたとか酒を止めたとか、それは自分の身を苦しめるだけの事。煙草を一箱例えば百円なら百円のを飲みよったのを止めたならば、その百円が神様に喜んで頂ける様な事に行事する為にと言う様な生き方です。しかもそれが神様への撞念の心憧れの心、十日すりゃ小倉にお参りが出来るという楽しみ一杯喜び一杯の信心。日吉つる真の信心になった。是からは千人の神にも立ててやると仰る。
 人を助けて我を助かれと、言われるのですから有難い。自分が助かっておられる訳でも何でもないのである。まあだ自分は体が弱いのですけれども、その有難い事を人に伝えて、自分が助けるのではない、助けて下さるのは小倉の親先生のお取次ぎによって助かるんだ、ただ自分はそのお手引き、お導きをさせて頂くだけだと言う様な言わば、言うなら人を助ける、人の難儀を助けるのが有難いと心得て信心をなされた訳です。
 そういう心で信心をされる所に、お導きをされる方が皆助かる。それで助けられると小倉の初代のお徳で、金光大神のお取次ぎによって助かるんですけれどもです。助かった人は、「日吉さん、あなたのおかげで助かった。」と言う事になる事、尊いと言う事ですね。導きの親になる事と人も助かる神も助かる、神様も助かられるのだから神様の喜びが日吉先生の所に行かないはずはない。そういう心建てで信心をすると仰る。矢張りお徳を頂くのは心がけが違うですね。
 そしてその日吉先生のおかげで助かったという人が沢山出来て、お取次ぎの様な事もされる。言わばそして講社としてお取り立てを頂いて、その沢山助かった信者さん達が、どうでも教師の資格を取ってくれと言う事になり、愈々小倉の教会に修業に入られる事になって、芦屋の地区に沢山の人が助かる様になった。それで初代教会長と言う事に。この日吉つる先生の御信心の色々なお話を頂いた。小倉へ修業中に桂先生が大事にしておられる急須を、お掃除をしよってから真っ二つに割られた。
 もうその時の驚きと言う物は大変厳しい、やかましいお方だったそうですからね、小倉の桂先生は。もうそれこそ血の気の引く思いをされた。そしてその二つに割れた急須を外に持って行ってから、天地金乃神というて願われたそれが外れなくなった。セメダインの様な働きになった、一心と言う物は恐ろしいですね。又教師になられてから夏の御大祭を仕えられた時に丁度まぁ梅雨の時期だったんでしょうね大変なお湿りがあった。
 それから遠賀川がはんらんして、桂先生が斎主を仕えられるのに大変難儀をしてお出でられた。そしてもう日吉先生を呼び付けられてお叱りをなさった。「お前の不徳の為に師匠がお前のところに来るのにこんなにしるしい思いをして来なければならんじゃないか。またここでおかげを頂いた沢山の信者がしるしい思いをしなければならんじゃないか。お前の信心の不徳だ。是からお前のところの大祭に雨ども降る様な事がきかんぞと。」と言うてお叱りになった。
 もうそれ以来芦屋教会の御大祭に雨が降った事はないと言われる様に一心に、また念力の強い方だった。「そりゃあしょうがない。天気の事だから降る事があれば照る事もあるくさい。」と言ゃあそれだの事だけれども師匠に気合いを入れられて、その一心を願いなさった時にそういうおかげが頂ける。そういう一念を持ってです。言うなら小倉へ小倉へと、十日にいっぺんのお参りをなさった。
 それもただのお参りではない、自分のいうならば一日の食事の約半分を削って、それをお参りのお供えとなさった。それはもう昔と今は違うと言わずに同じ事なんです。信心のおかげを頂く理と言う物は。成程桂先生が神様からお知らせを頂かれた様にです、千人の神に頼られる程しのお徳を頂かれた。日吉先生のお取次ぎによって、その地区の方達が沢山助かった。真に『導きの親になるこそ尊けれ 人も助かる神も助かる』神様はそういう氏子に、お取り立てを頂きたいと願う様な信心者を求めておられるんです。
 『神信心のなき人は 親に孝のなきも同じ事 人の道を知らぬも同じ事』と言う様な、信心のない殆どの者がです。人の道を解からせてもろうて、所謂金光大神取次ぎのおかげによって、助かって行く道をいわば開いてやる。自分に助ける力はない。けれどもその人が助かる所の手助けいうならば、導きをさせて頂くと言う事が、有り難いと心得て、言うなら尊い事として信心しろと教えられておる訳ですからね。